「患者・家族の会」って何?
WE SUPPORT MARUYAMA VACCINE
これまで(会の歴史)
■会の結成
正式名称「丸山ワクチン製造認可を促進する患者・家族の会」。 東京大学教授(当時)篠原一の発案によって、1980年6月1日に結成されました。

篠原は、1973年ガンの手術をし、その後放射線療法を受けましたが、副作用が強く白血球の激しい減少をみました。1975年から丸山ワクチンを使い始め、そのせいかどうかは断定できないものの、経過は良くなりました。そのころ丸山ワクチンは厚生省(当時)に認可申請され、薬事審議会での審査中でしたが、いわゆる“権威”の丸山ワクチン批判や厚生省の不公正な取り扱いに怒りを覚えた篠原は、早期認可のための運動を起こすことを決意しました。

こうして篠原を中心として数名の代表(いずれも患者本人、あるいは家族)と、ボランティア数名による事務局(事務局長 南木雅子)によって構成される「会」が誕生しました。
■園田厚生大臣請願
1980年10月22日篠原一他代表者数名は、約4万人の署名を携えて厚生省を訪れました。園田厚生大臣(当時)は、「私の選挙区でも数10人の患者が助かっているので、丸山ワクチンのことは良く知っています。担当の人たちにも私の意向は既に伝えてあります」と好意的な態度で迎えてくれ、参加者はこれで認可の道は開けたと安心したのでした。

1981年2月12日「会」の代表者たちは、2回目の請願陳情を行いました。園田厚生大臣は相変わらず好意的で、皆、認可への期待をふくらませました。
▲「これまで(会の歴史)」のトップへ
■丸山ワクチンをめぐる国会での論議
衆議院議員草川昭三は、「会」が結成される以前から丸山ワクチン問題を、国会の場で取り上げてきました。社会労働委員会(社労委)における数回の質問で、丸山ワクチンが、当時非常に短期間の審議で認可されたクレスチン・ピシバニールと比べて、差別的な扱いをされているのではないか等について追求し、園田厚相の「今後は差別待遇であるとか、いやがらせ、これは絶対にさせないことをここで誓います」という答弁を引き出しました。

衆議院議員菅直人も社労委で、クレスチンやピシバニールの開発者やデータ作成者が薬事審議会の委員に名を連ねている1人2役問題を取り上げ、審議内容の情報公開を求めました(この1人2役問題について、「患者・家族の会」では、3名の委員について、1981年7月21日厚生大臣村山達雄に罷免申立てをしました)。
▲「これまで(会の歴史)」のトップへ
■厚相交代そして不認可答申
薬事審議会の抗悪性腫瘍調査会で追加資料に基づく丸山ワクチンの審査が再会された1981年5月、厚生大臣が園田直から村山達雄に代わりました。「会」では早速、村山厚相に陳情請願をしましたが、発言が園田厚相の時より後退している印象を受けました。

1981年7月10日「調査会」は、「有効性を確認できなかった」との最終意見を発表し、これを受け中央薬事審議会は8月14日、「有効性を確認できないので、現段階では承認することは適当でない。・・・無効と断定するものではない・・・引き続き試験研究を行う必要がある」という結論を厚生大臣に答申しました。
▲「これまで(会の歴史)」のトップへ
「患者・家族の会」の陳情攻勢
7月10日の「有効性を確認できない」という発表の後、患者・家族の間で「丸山ワクチンはなくなってしまうのではないか」という不安がわきおこり、ワクチン研究施設の受付日に来院する患者・家族の有志たちで連日のように厚生省に陳情にでかけました。

厚生省は、「丸山ワクチンを有償治験薬として供給を継続する」「2回目以降は郵送で申し込みができるようにする」ということを骨子とする取り決めをゼリア新薬工業と結び、1982年から丸山ワクチンの有償治験制度がスタートしたのです。
 この制度は3・4年ごとに治験期間が延長され、1998年5度目の延長の際、期限を定めない延長という形で現在に到っています。
▲「これまで(会の歴史)」のトップへ
■現在の「患者・家族の会」の活動
1980年以来、認可を求める署名運動を1つの柱として、超党派国会議員の丸山ワクチン懇談会(代表 前衆議院議員深谷隆司)と連携して厚生省に働きかける等の活動を行ってきましたが、残念ながらまだ丸山ワクチンは認可されていません。

とはいえ、“丸山ワクチンつぶし”という言葉があったほど厳しい状況のもとで、なんとか有償治験薬として生き延びることができました。これは丸山ワクチンが多くの人々に支持され使用されている現実を、厚生省(現厚生労働省)が無視できなかったことによります。その意味では、「患者・家族の会」の活動もある程度役に立ったのではないかと自負しています。

また、丸山ワクチン問題をきっかけとして、それまで密室で審議されていた薬事審議会の内容や委員について、情報公開を求めることが出来るようになりました。薬害エイズ問題でもわかるように、製薬業者寄りの薬事行政に対する1つの批判となったことの社会的意義も評価されてよいと思います。

1998年の「期限を定めない延長」は、丸山ワクチンの供給確保という意味では患者・家族に安心を与えましたが、一方、認可ではなく有償治験という状態を固定化させることになるのではないかという危惧もあります。

治験薬は、使うために医師の承諾が必要となります。しかし、認可されていないということで承諾をためらう医師も多いようです。また、輸出ができないので、外国で使いたい人にとっては薬の入手がとても困難になってしまっています。「会」としては、あくまでも認可を求めて今後も活動を続けていきますので、ぜひ皆様のご理解とご支援をお願いします。(文中・敬称略)。
▲「これまで(会の歴史)」のトップへ
WE SUPPORT MARUYAMA-VACCINE