患者・家族の会 懇談会

~卵巣がん患者と語る~

丸山ワクチン患者家族の会設立以来、患者さん同士で話し合えるような機会がほしいという要望がありましたが、なかなか実現できませんでした。
このたびワクチン療法研究施設の岩城医師が面談されたことのある卵巣がん患者さん13名にお集まりいただきました。
2時間あまりでしたが、大変有意義な話し合いができました。この内容を参加できなかった患者さんにもお知らせしたいと思い、皆様のご了解の下、ホームページに掲載することにいたしました。

日時 2008年5月12日
ワクチン療法研究施設会議室
出席者 卵巣がん患者A~Mさん 13名
上記13名が、がん治療を受けた主たる医療機関
大学病院
  日本医科大学附属病院:3名
  東京大学附属病院:2名
  慶応大学附属病院:1名
  東京医科大学附属病院:1名
都立病院:2名
市立病院:2名
共済病院:1名
私立病院:1名
岩城弘子医師
南木雅子(患者・家族の会事務局)
丸山晶子(NPO丸山ワクチンとがんを考える会事務局)
岩城医師

本日はお集まりいただきありがとうございます。
若い頃から、私は、病気は患者さんご本人の力で治すもので、医師はその助けをするに過ぎない、そこで、できるだけ患者さんの立場に立ちたいと努力してきましたが、立場の違いを超えることは不可能だと気付きました。 その後、仕事の関係で精神障害者の家族の会、肝臓病患者友の会、難病の会とかを各地域で開いてきて、患者さんの集まりが一番役に立つという話を聞いてきました。 会に出席後、元気になってご自分でも会に関わり、その結果データも良くなる方もありました。 今日の会でもそうなっていただけるとうれしいなと思っています。

それぞれの体験

マーカーが再上昇したので抗がん剤はやめて丸山ワクチンだけにしています

Aさん

(67歳 2005年2月発症 卵巣がんIIIc期 3年経過 抗がん剤2005年3月より術前3回 6月手術後9回合計12回 丸山ワクチン歴2006年10月頃より1年半) タイ滞在中の2005年の2月に、視野欠損と同時に食欲不振の症状があり、目の検査のつもりで帰国。 食欲が全くなく嘔吐もあったので、胃が変なのかと思い診察を受けたところ、すでに5.3リットルもの腹水貯留があり、卵巣がんのステージIIIcと診断されました。
3月8日に入院し、6月13日に6時間の手術で、卵巣2つと子宮、*大網(2cmの転移)、リンパ節を切除しました。 術前の3回の抗がん剤で髪の毛は全部なくなりましたが、よく効いたようで、膀胱にあったがんは消え、直腸に癒着していた卵巣がんも縮小していて人工肛門を免れました。
手術後、全部で12回の抗がん剤。6回目で19000あった*マーカー値(CA125)が8.5まで下がりましたが、12回目でまた上がり始めたので、もう抗がん剤はやめようと決心しました。
抗がん剤の副作用で、投与の翌々日からもう動きたくなくなり、投与時は苦悶感で、看護婦さんとの会話だけでも頭がガンガンし、食欲がなくなって。 やっと良くなったと思うと次の投与の繰り返しでした。
ちょうどその頃病院の婦人科がなくなり、難民となって他の病院に行ったのをいい機会に抗がん剤をやめました。
丸山ワクチンは以前から友達から勧められていましたし、たまたま尾瀬行きで出会った人からも、亡くなった37歳の娘さんの腹水をとるのにワクチンが効いたと聞き、岩城先生の論文を読んだ医師からも勧められたので、2006年の10月ぐらいから始め、自分で注射を打っています。
ワクチンだけで抗がん剤も何もしないのにだんだんマーカー値が落ちてきましたが、17段の階段を転落した時には360ぐらいに上がり、また一旦下がり始めたCA125の値が転居などの過労、心労からか307.6まで上昇。
その後、ワクチンA液を1日置きに。間隔を縮めたためか202.7に下がって現在に至っています。ほかは大して変化がないので。

実は放射線の副作用で苦しんでいます(後述)

Bさん

(61歳 1985年発症 手術で両側卵巣・子宮摘出し抗がん剤加療後丸山ワクチン10年継続使用 2004年1月再発 2月非治癒切除手術 抗がん剤加療したが副作用の為中止 6月丸山ワクチン再開 2007年8月~9月 放射線治療30回。丸山ワクチン歴合計14年) 私は後で。

苦しい時期にワクチンの効果が実感できました

Cさん

(55歳 2006年発症 卵巣がんIV期 2年弱経過 抗がん剤2006年8月~2007年1月まで月1回合計6回 丸山ワクチン歴手術直後から2年弱) 手術してまだ2年にはなりませんが、手術後に主人がワクチンの説明を聞きに来て、それからは一度もこちらには伺ったこともなく、ずっと郵送です。近所でAAを一日おきに打っています。 今は大分調子がいいのでそうは思わないのですが、最初の頃の体の調子が悪い時には、ワクチンを打つと元気になって「よし、これから買い物に行こう」とか、効果が実感できました。 それで、まだずっと続けてお世話になりたいなと思っています。

何度も再発を繰り返していますが普通に暮らしています

Dさん

(45歳 1997年5月発症 卵巣がんIIIc期 11年経過 手術7回 抗がん剤33回 丸山ワクチン歴2003年10月より4年半) 私は1997年に発病、卵巣がんのIII期cでした。再発再発で全部で7回手術し、抗がん剤は33回です。
ちょっと元気になったかなと思うと、マーカー値が上がってきて、「はい、できてますよ」「はい、手術」というようなことを何回も繰り返してきました。
大学病院の婦人科の担当医から、「この病院でのギネスですから、がんばってね」と言われるくらい、繰り返してはいるんですけど、まあ日常生活では普通にしています。
何が効いているのか、丸山ワクチンだとは思うのですが、ワクチンの先生からも「考え方が抗がん剤」とも言われるくらいケロッとしています。
病気以前は弱い自分だったのですが、病気によって強くしてもらったということもあります。
病気も神様からの呼びかけだなあと。私の場合、生かされている感謝、家族への感謝が足りなくなるとマーカーが上がってくのかなあと。結婚してすぐ病気になったので子どもはいないんですが、私には過信するところもあって、病気がブレーキになったのかなあとも、最近思います。

家事に仕事に旅行に忙しくがん患者ということを忘れています

Eさん

(65歳 1997年発症 12年経過 手術、抗がん剤共に複数回 べプシドS  放射線 丸山ワクチン歴12年) 私も1997年に発症、足かけ12年になりますが、ワクチンは最初からずっとしてます。長く続けていると、疲れたり、面倒になったり、もうやめようかなと思うこともありますが、主人が「ワクチンやめて、がんが出てきたらどうする」とおどかすので、「じゃあ、もうちょっと」と、12年目です。 一緒に入院していた人が、「ワクチンをやってるとシミ・そばかすができにくくなって、肌がきれいになる」って言うし(一同ざわめき、笑い)、それで何となくまあ、ワクチンだ けは続けてやってます。
家は商売してるので、一日として仕事を休んだこともないし、お休みになると、主人も運転が好きなので必ず旅行に出かけます。 気分転換にもなりますしね。
普段は元気元気で、家の中のことを全部と商売と。
退院して家に帰るとすぐ仕事を始め、入院中に溜まった仕事を全部こなします。
だから、自分ががんだということを忘れてしまいます。
死んだら死んだ時、その時考えればいいと思って(笑い)。 そんな気持ちで毎日過ごしています。
抗がん剤を何回か打っているうちに一度心臓にショックを受けたので、時々マーカーが上がるんですが、担当医も怖がって、「抗がん剤の注射はやめた方がいい、それで死んじゃったら何にもならない」「何回も開いているから、手術ももうできない」って言うので、卵巣がんには飲む薬はあまり効かないらしいのですが、でもまあ、飲まないよりは気休め的に飲んでみようかしらって思って、2006年頃から*べプシドSを飲んだり休んだり、今もまた飲み始めたんです。

岩城医師

腫瘍マーカーが300を超えているのにお元気で働いておられるので是非お話を聞きたくて。
ありがとうございました。

抗がん剤は術後の1回ずつだけ、ワクチンのおかげで丈夫になった気がします

Fさん

(58歳 2001年発症 卵巣がんIIIc期 7年経過 手術2001年4月 再発手術2005年1月 抗がん剤 術後各1回 再発時は腹腔内投与 丸山ワクチン歴2001年5月より7年) 2001年春、旅行中に足の付け根の腫れと痛みで歩行困難になり、翌日病院で診察を受けたら、鼠径部嵌頓ヘルニアの疑いで即日(4月16日)手術。実は卵巣がんのリンパ節転移で、翌週の27日に婦人科で開腹手術、卵巣と子宮(上部は少し残して)大網を切除して腹腔内のリンパ節を郭清、腹水も溜まっていました。 後の細胞検診でステージはIIIcでした。
もともと体質が弱く、手術中に輸血もし、術後も血圧が下がりすぎて硬膜下麻酔が入らず苦しんだりしましたので、抗がん剤治療の話があった時には悩みましたが、1回だけ抗がん剤パクリタキセルとカルボプラチンの投与を受けました。 多少の吐き気と脱毛、末梢神経の痺れがあり、白血球値の減少が早く増多剤を多用し、それでも家に帰りたい一心で、ひと月で退院(5月15日)しました。
入院直後のマーカー値が7300で、手術後3600になり、抗がん剤の直後390に、7月には58、9月には10、10月からは一桁に下がりました。
丸山ワクチンは入院中に承諾書を書いてもらい、退院と同時に、最初は往診してもらって、すぐに打ち始めていました。 ワクチンが体質に合っていたようで、それまで食も細く痩せていたのが、体重も増えて体力と免疫力が増えてきたような気がします。
それに術後の1回だけで後は抗がん剤を受けないという選択をしましたので、丸山ワクチンを打っているということで、安心感も得られました。
と同時に、生活を変えないとまた同じようなストレスから病気が再発してしまいそうなので、自分なりに体力をつけるために軽い運動をしたり、食生活を見直して、無農薬無添加のもの、雑穀や豆乳など、おいしく食べられて体によいものをなるべくとるようにしました。 負担にならない程度で、かなりいい加減ですが。
そして、これからは気楽に、無理をし過ぎず、できないことはできない、引き算ではなく、できることを積み重ねていく足し算の生活をしようと思いました。
2年を過ぎた頃から病人の意識がなくなり、病院にはマーカー値を測りに行くだけという生活が続いていたのですが、3年半後の秋のCTで、3×5cmの腫瘍が見つかり(半年前には異常なし)、かなり大きなものが急にできたということで、さすがにノーテンキな私も慌てました。 マーカー値は2桁になってはいましたが正常値の範囲内でした。
再発がどの程度に及んでいるかを知りたいと思ってPETCTを受けたり(卵巣がんの再発には保険適用ができず、混合診療になるためPETは断られた)、骨転移の有無も調べ、外科の先生や、がん専門病院の婦人科、ワクチンの先生にもセカンド・オピニョンを聞きに行き、どなたからも「とった方がいいんじゃないかな」と言われ、翌年の1月に2度目の開腹手術をしました。
腹水は溜まってなかったのですが、腫瘍がゆで卵みたいな感じで、真ん中が黒い塊で、外側は水分の多い形状で、もしかしたら悪性でない可能性もとも言われていましたが、やはりがんの再発でした。 盲腸や大網を切除、神経切断の恐れがあるため腹壁に数ミリの取り残しがあり、腹腔内を洗浄した食塩水からもがん細胞が発見されたということで、広がっている可能性も高く、今回も1回だけということで、今度はシスプラチンの腹腔内投与を受けました。
私は抗がん剤にどうも弱いらしく、丸4日間飲まず食わず眠れずで、間断なく吐き気が続きましたが、やっと5日目ぐらいに水や薬が飲めるようになり、すぐに退院しました。
手術の1か月後には手術直前に122まで上がったマーカー値も19に下がり、その後は少しずつ下がっていって、また一桁に戻りました。
ワクチンも続けていましたし前回に比べ体力の余裕があったので、吐き気で大変でしたが、前ほどダメージは残らず、加減がわかっていたので、無理してでもすぐに動くようにしました。
そこからまた3年が過ぎて、丸山ワクチンは週3回近所の病院で打っていましたが、1000本以上にもなり、再発からも3年たったので、今はAAを週2回に減らしています。
ワクチンと、前向きに考えるようにしたのが良かったと思います。病気になって良かったこと、気付いたこともたくさんあるし、病気がなければ自分の生活を反省することもなかったし、非常に我儘に生きていたのにも関わらず、多くの人の優しさにもふれられて。 これはこれで良かった、これから先も再発するかもしれないけど、先回りして心配しても仕方がないので、そうなったらその時に考えようと思って生活しています。 最初の目標はとりあえず60歳でした。 両親もまだいますし。 今では第一目標はクリアできそうな気がしています。

岩城医師

私からみるとFさんはすごい経過なんですよ。 再発の時も抗がん剤1回だったんですよね。
一般には抗がん剤を引き続きずっと続けてなさっている方が多いですよね。
このことがあったので、みなさんにもお話してもらおうと思ったんです。

Fさん

個人的なことかもしれませんけど、私の体ではきっと何回も抗がん剤治療を受けたらもたないと思ったからです。

病気からの贈り物もあり、抗がん剤治療の最終段階でやっとワクチンとめぐり合いました

Gさん

(42歳 2006年発症 卵巣がんIV期 2年経過 手術1回 抗がん剤術前後計19回 丸山ワクチン歴3か月) 私は2年前の40歳の時の5月に手術をしました。開けてみてIV期でした。9時間の手術で5リットルの輸血をしました。 「手術でとれるだけのものはとって、とりきれないものは抗がん剤で小さくしてから、11月に再度手術をします」と言われてました。
私の場合、腹水がなかったので、「卵巣がんだとは思うが、原発は本当に卵巣なのかどこなのか、もうわからない」ということでしたので、「できることは全部やってもらってそれでいいや」みたいな感じで、自分の体に起きている異変を冷静に受け止めているというか、「わからないからもう変に考えすぎても仕方がないかな」という感覚でいました。
術後*TC療法を9クールして、6クール終わった段階で再度オペの予定だったのですが、ドクター達もびっくりするほど、肝臓にあった病巣も全部消えていて、(1)「危険を伴う手術はやめて、全ての治療を終わりにする」(2)「また大きくなってきた時に治療を続ける」(3)「プラス3回抗がん剤をする」(4)「手術をやっぱり選ぶ」、その中から好きなのを選んで、と言われました。
どう選んでいいのかわからなかったのですが、今のお話を伺って驚いたのですが、「最初の抗がん剤は重要だからきちんとやった方がいい」とさんざん言われ続けてきたので、オペの予定が急になくなったから終わりというのも何か怖いなと思って、「抗がん剤をプラス3回」を選択してしまったんです。
その3回をしたことで、何とか今まで副作用を殆ど感じずにすんでいたのが、痺れが増すというか、感覚がなくなって、家事が厳しくなりました。 包丁を持ってもすっぽ抜けるし、お鍋は両手で持って精一杯。
これでは危ない、困ったなと思ったのですが、できないことは家族に手伝ってもらうことにしました。
家族は非常に生意気だった私をよくサポートしてくれるようになり、家族の連帯が良くなりましたので、病気からいただいた贈り物もたくさんあるなと、思っています。
2回目のオペはなくなり、抗がん剤は*ドセタキセルに変わって(*TCから*DCへ)6クールしました。 6クール終わってもエンドレスに続くと言われていたのですが、ある日突然腫瘍マーカーが上がってきて、ドセタキセルは使えないので*トポテシンに変えるということでした。
トポテシンを使い始めたら、ウイークリーなので、非常にハードなんですけど、白血球の下がりは少ないまでも、嘔吐がすごく、それまで殆ど感じなかった体に感じる副作用がものすごくって。
トポテシンの治療というか、卵巣がんの今後の治療については考えるという状況なんです。
カンファレンスがあって、治療するのか、このまま様子を見るのか、という段階だと言われています。
去年の6月の誕生日の日に、「あなたは治療してもしなくても1年生きるのは無理」と言われ、その1年がもうすぐ来るなあと……。
今年の1月には、ホスピスを予約しておくように言われたのですが、ホスピスに転院した知人も何人もいて、緩和ケアに関しての抵抗は私自身にはないんですが、今、自分の体はわりあい元気なので、まあ……という感覚がありまして……。
トポテシン1クール目の頃は本当にもう辛くて、会話をするのも苦痛で、テレパシーを使う能力がほしいと切望する気持ちでいたのに、丸山ワクチン始めてから、「気持ち悪い」と、文句というか口に出しながらも動けるし、窓を開けたり、洗濯物を畳んだりとかができるようになり、非常に心地良く快適に暮らしています。
今後ともワクチンを使いながら、自分の体をよく観察して、今は無理だなと思ったら無理はせずにやっていけたらいいなと思っています。
とにかく、家族の絆が非常に良くなったので、これはほんとにありがたいなと。 自分がどんなにがんばっても、手に入れるというか、むきになってもできなかったことが、病気になったお陰で良くなった、良くなったというと変ですけど、あたたかく思ったので、これはどんなものにも代えられない贈り物をいただいたな、と思っています。

気功や漢方をとり入れ、ワクチンも仕事も再開しました

Hさん

(68歳 1994年発症 卵巣がんIII期 13年半経過 手術1回 抗がん剤3クール 気功 漢方 丸山ワクチン歴10年で中断後再開) 先日、膵臓がんになった友人に丸山ワクチンを紹介したことがきっかけで、私自身も中断していたワクチンを再開することにしました。
私は1994年の9月末、突然おなかが痛くなり、病院に行ったところ、娘への連絡を看護婦さんに頼むのがやっとで、即手術でした。腹水がパンパンに溜まり、卵巣が破裂寸前の状態でした。
家族が到着したのは手術も終わり意識が戻りつつある時で、自分も家族もびっくりでした。
10日ぐらい後先生からがんの告知を受け、「何か月ぐらいもちますか」と質問したら、院長先生は返事しないで横を向かれ、部下の女の先生が、「お人によっていろいろですからね」と言ってくださったんで、少しは気が休まったんですけど。
横向かれたことも嫌だったのと、抗がん剤治療を始めるという話に、専門でもない病院で抗がん剤をやりたくないという思いがあって、いろいろトラブルがありながらも、がん専門病院に転院しました。
その病院でも、ここで手術してないから確かなことはわからないけど、すぐ抗がん剤を始めるということでした。 最初の病院からもらってきた資料を見て、診断も少し違いましたし、抗がん剤の薬も別のもので、結局3クールやりました。 退院して何回か検査に通い、約1年後の検査時に、急に入院の手続きをするように言われました。
私は退院後に、*外気功と*内気功をやったり、それにワクチンや、漢方薬もいろいろ飲んでまして、自分ではすっかり元気になったし、自分の体は自分が一番わかってると思っていたので、入院の手続きをしないで家に帰ってしまいました。 それ以来、その病院には行ってません。
友達と一緒に京都の婦人科で診てもらって、いろんな検査の結果、今のところ大丈夫そうということで、その後年に3回くらい見物がてら京都に通院してました。
丸山ワクチンだけはずっと受けていて、気功のお友達とインド旅行に行った時から自分で注射するようになりました。
10年間ぐらいは続けていましたが、2003年に家族のいないパーキンソン病の叔母の最期を看取り、続いて20年痴呆症で床についていた母が亡くなり、そんなこんなで自分のことどころでなくて、丸山ワクチンも忘れてしまいました。
それが、友達ががんになって、また私も週に1度打つことになり、先生のアドバイスで、夏に手術が決まっている子宮筋腫とチョコレート嚢腫のある娘も、一緒にワクチンを始めました。
一度店じまいして辞めていた仕事も、お手伝いを頼まれてまた少しずつ再開して、なんとか楽しく働きつつ、遊びつつ、ちらっちらっとがんのことも思いながら、思い過ぎないようにして、でも過信はしないようにしています。

セカンド・ルック・オペレーションを受けるかどうか迷いました

Iさん

(57歳 2002年発症 卵巣がんIIIb期  5年半経過 術後抗がん剤2002年12月より月1回6クール 1年後セカンド・ルック・オペレーション 丸山ワクチン歴2002年12月より5年半) 私は2002年の10月に卵巣がんを発症、5年半ぐらいたちました。腹水は溜まってなかったのですが、腹膜への転移がありIIIb期ということでした。
主人がステージIIIbであるという事を私に言わないように止めていたらしく、私は自分ががんであっても「とってしまえば大丈夫かなあ」くらいの気持ちでいたんですけど、そのうちに、だんだん先生の様子とかからも、「あまり軽くなさそうだな」と、気付きましたが。
抗がん剤をきちっと6回やりました。2、3日間吐き気はありましたが、反応が強く出る方ではなく、白血球もそんなに下がりはしないで、まあ、比較的順調でした。でも、普通に脱毛はあり、冬場だったので帽子ははずせなかったんですけど。
1年後、「*セカンド・ルック・オペレーションをします」と言われ、その時だけは迷いました。
自分では、体はぜんぜん悪いという気はしてなかったものですから。 先生から「当初が悪かったから、どんな状態になっているかを実際に開けて見た方がいい」というお話を聞き、「やはりやることは全部やっておこう」と自分で決断しました。
最初の手術では卵巣と子宮を全部とって、おなかに抗がん剤を撒いたのですが、2度目では、腹膜への転移は消えていて、それでも念のためにとれるところは全部とるということで、リンパ節を50何個とったので、9時間もの手術でした。 2か月ぐらいで退院、その後は抗がん剤も何もなく、病院での治療はありません。
丸山ワクチンは、最初の手術の1か月後ぐらいから週3回、今年の2月からは5年たったので週2回になりました。
苦しかったとか大変だったということはなかったのですが、精神的にだいぶ落ち込んだり、人と会いたくなくて家にひきこもっていた時期もありました。
5年たって、やっとトンネルの先にパッと光が出てきたような感じで、人とも病気のことも話せるようになってきました。

長い間内膜症とチョコレート嚢腫に悩んだあげく明細胞がんを発症しました

Jさん

(50歳 2005年発症 卵巣がんIc期 明細胞がん 3年経過 2005年5月~8月に抗がん剤8回 丸山ワクチン歴3年 発症前27歳~46歳20年間子宮内膜症とチョコレート嚢腫治療) 私は今週中に50歳になるのですけど、27歳の時から子宮内膜症で、卵巣はチョコレート嚢腫で、ずっとこの大学病院に来ています。 この病院で治療して、子どもも二人ここで産み、他の科にもお世話になっているのでアメリカ在住の3年間を除いて、定期券を買うくらいこの病院に通っています。
2004年の9月までホルモン療法をして、2005年の2月には卵巣の腫れもひき、子宮内膜症のせいで高かった腫瘍マーカー値もずっと低くなり、治ったと喜んでいたんですが、一月後に貧血になり、増血剤をもらうつもりで受診し、ついでにというので内診したら、「卵巣の大きさが倍になっていて、中に丸いものが見える」とのことで検査。腫瘍マーカーも低かったので、卵巣嚢腫のつもりで4月末に手術を受けました。
万が一がんだった時の説明もありましたが、卵巣嚢腫だと思い込んでいたのでろくに話も聞いてなかったんですが、開けたらがんだったんです。一番抗がん剤の効かないといわれる、*明細胞がんという種類の。100%違うと思い込んでいたのですごく落ち込んでしまい、仕事も辞めました。
手術後*TC法で、普通6クールのところ抗がん剤の効かない種類だから8回、「効かないのに8回やっても無駄だろう」なんて思いながら、8回受けました。
髪の毛が抜けたり白血球も下がったりもしましたけど、吐いたりとかはなく、痛い思いもしないで順調だったのですが、5回目ぐらいから、「抗がん剤終了後にまたがんが出てくるかも」と考えて落ち込んでしまいました。
その時に主人が、「せっかくこの病院にいるんだから、丸山ワクチンをやろう」と言い出して、8回目の抗がん剤が8月17日に終わると同時にワクチンを打ち始め、それから3年弱ずっと丸山ワクチンを1日おきにやっています。
一度腫瘍マーカーが44、5まで上がったこともありましたが、それも次の次の検査では大きく下がり、最初はちょっと上がり下がりしていたマーカー値も今は完全に安定しています。
私の場合は結構早期発見でIc期だったんですが、卵巣が激しく癒着していたため、明細胞がんでは非常に多いIc(b)期、つまり「術中皮膜破綻」でした。術後の説明では「お腹の中に何千ccも水を入れて十分洗ったから心配ないよ」と先生方が一生懸命励ましてくれました。
「セカンド・ルックをする」とも言われてましたが、経過が良好なので、開けると免疫が下がるとも聞いていたので、結局開けないで、経過観察してます。
お陰様でなんとかやってきました。 4月26日で3年になりました。

鬱病と出血が悩みでしたが、ワクチンだけで元気な方がいて勇気付けられました

Kさん

(64歳 2004年発症 卵巣がんIIIc期 4年経過  抗がん剤4回で中断 再発後9回 丸山ワクチン歴4年) 私は2004年7月に卵巣がんの手術をしました。 左卵巣に小豆粒位の腫瘍があり、ここが原発でした。 転移していた腫瘍の方が大きく、大腸の右側には7cm位のもの、左側には3cm位のものがあり、こちらは腫瘍だけ取ることが出来たのですが、右側の大きな腫瘍は大腸、小腸、盲腸も併せて切除しました。腫瘍を全部取り除けた訳でなく腹膜には0.8cm位のものが3つ、その他細かいものがあちこちに点在していたそうです。これ等は、抗がん剤をして様子を見ることになりました。
卵巣がんで、卵巣、子宮も摘出しましたので、取り出したものがお盆からあふれる程だったそうです。 主人は「半年ももたないだろう」と思ったと後日言っておりました。 丸山ワクチンの存在はがんになる前から知っておりました。 一日でも早く始めたいと思いましたがワクチン使用にまつわる面倒な話を聞いておりましたので、最初は先生にお願いするのが憚られましたが、問題なく承諾書をいただくことが出来、手術後3週間目から打ち始めました。
術後抗がん剤を6回する予定でしたが、4回目の後くらいからいわれのないだるさや不眠、音に対しての恐れ(電話の音や犬の鳴き声等を聞くとビクビクする)等の症状が出て来て体重が減り始めました。 心配事が多くなったためか、がんそのものより鬱病の方のダメージが大きくなり、抗がん剤はここで中断いたしました。 鬱病の治療を優先し、病院でのがんの治療はなしで、丸山ワクチンだけで経過をみていました。
2005年4月には鬱病も快方に向かい、日帰りのバス旅行に参加できるまでになりました。 それからしばらくは良い状態が続いておりました。
2006年10月小出血が始まりました。 その頃事情があって病院を休んでおりました。 2007年2月大出血を起こしたのをきっかけにあちこちの病院を探しましたが、途中から受け入れてくれる婦人科がなくて、2007年6月に元の病院に戻りました。
この頃には腫瘍がかなり大きくなっていて「これでは抗がん剤も効かないし、手術も出来ない」と言われましたが、抗がん剤治療をお願いしました。 この時期から丸山ワクチンをそれまでのAAの1日おきから、AAの連日投与に変えました。
2007年9月にはCA125が251まで上がり心配しましたが、それから徐々に下がり2008年1月には95まで下がりました。 抗がん剤はこの頃7回目を数えておりました。それまでは標準的な治療法のマンスリーで行っておりましたが、このあたりから体力に自身がもてなくなり、この後3分割にした薬を3週続けて1回休みのウイークリーに変えて頂き、8回目、9回目(2008年4月)をしたところCA125が61まで下がりました。 「抗がん剤の回数を重ねているので、骨髄が弱っているかもしれない。抗がん剤は止めましょう。」と先生に言われ2008年4月の投与が最後になり今はしていません。 抗がん剤と丸山ワクチンの両方で徐々にマーカー値が下がり、良い方向に向かっていた時に抗がん剤を止めるよう言われ、またマーカー値が上がるのではないかと不安でした。
出血は2006年10月に小出血が始まって以来、量の多少はありますが続いております。 2007年4月と2008年2月の2回、大出血が起き貧血がひどく輸血入院をしました。 今は下火になっており、ヘモグロビンの数値も正常値に近づいています。
今日皆さんのお話を伺っていると、抗がん剤なしでもお元気な方がいらっしゃるのを知って、私も大丈夫かもしれないと。 抗がん剤を止められて以来寂しく感じておりましたが、元気付けられました。有難うございます。
丸山ワクチンは副作用がないので、体調の良し悪しに関わらず打ち続けられるので、これからもお世話になりたいと思います。

鬱病と出血が悩みでしたが、ワクチンだけで元気な方がいて勇気付けられました

Kさん

(64歳 2004年発症 卵巣がんIIIc期 4年経過  抗がん剤4回で中断 再発後9回 丸山ワクチン歴4年) 私は2004年7月に卵巣がんの手術をしました。 左卵巣に小豆粒位の腫瘍があり、ここが原発でした。 転移していた腫瘍の方が大きく、大腸の右側には7cm位のもの、左側には3cm位のものがあり、こちらは腫瘍だけ取ることが出来たのですが、右側の大きな腫瘍は大腸、小腸、盲腸も併せて切除しました。腫瘍を全部取り除けた訳でなく腹膜には0.8cm位のものが3つ、その他細かいものがあちこちに点在していたそうです。これ等は、抗がん剤をして様子を見ることになりました。
卵巣がんで、卵巣、子宮も摘出しましたので、取り出したものがお盆からあふれる程だったそうです。 主人は「半年ももたないだろう」と思ったと後日言っておりました。 丸山ワクチンの存在はがんになる前から知っておりました。 一日でも早く始めたいと思いましたがワクチン使用にまつわる面倒な話を聞いておりましたので、最初は先生にお願いするのが憚られましたが、問題なく承諾書をいただくことが出来、手術後3週間目から打ち始めました。
術後抗がん剤を6回する予定でしたが、4回目の後くらいからいわれのないだるさや不眠、音に対しての恐れ(電話の音や犬の鳴き声等を聞くとビクビクする)等の症状が出て来て体重が減り始めました。 心配事が多くなったためか、がんそのものより鬱病の方のダメージが大きくなり、抗がん剤はここで中断いたしました。 鬱病の治療を優先し、病院でのがんの治療はなしで、丸山ワクチンだけで経過をみていました。
2005年4月には鬱病も快方に向かい、日帰りのバス旅行に参加できるまでになりました。 それからしばらくは良い状態が続いておりました。
2006年10月小出血が始まりました。 その頃事情があって病院を休んでおりました。 2007年2月大出血を起こしたのをきっかけにあちこちの病院を探しましたが、途中から受け入れてくれる婦人科がなくて、2007年6月に元の病院に戻りました。
この頃には腫瘍がかなり大きくなっていて「これでは抗がん剤も効かないし、手術も出来ない」と言われましたが、抗がん剤治療をお願いしました。 この時期から丸山ワクチンをそれまでのAAの1日おきから、AAの連日投与に変えました。
2007年9月にはCA125が251まで上がり心配しましたが、それから徐々に下がり2008年1月には95まで下がりました。 抗がん剤はこの頃7回目を数えておりました。それまでは標準的な治療法のマンスリーで行っておりましたが、このあたりから体力に自身がもてなくなり、この後3分割にした薬を3週続けて1回休みのウイークリーに変えて頂き、8回目、9回目(2008年4月)をしたところCA125が61まで下がりました。 「抗がん剤の回数を重ねているので、骨髄が弱っているかもしれない。抗がん剤は止めましょう。」と先生に言われ2008年4月の投与が最後になり今はしていません。 抗がん剤と丸山ワクチンの両方で徐々にマーカー値が下がり、良い方向に向かっていた時に抗がん剤を止めるよう言われ、またマーカー値が上がるのではないかと不安でした。
出血は2006年10月に小出血が始まって以来、量の多少はありますが続いております。 2007年4月と2008年2月の2回、大出血が起き貧血がひどく輸血入院をしました。 今は下火になっており、ヘモグロビンの数値も正常値に近づいています。
今日皆さんのお話を伺っていると、抗がん剤なしでもお元気な方がいらっしゃるのを知って、私も大丈夫かもしれないと。 抗がん剤を止められて以来寂しく感じておりましたが、元気付けられました。有難うございます。
丸山ワクチンは副作用がないので、体調の良し悪しに関わらず打ち続けられるので、これからもお世話になりたいと思います。

抗がん剤の画一的な投与法に工夫を

岩城医師

今日の会が始まるまでKさんが一番心配で、救急ダイヤル頼まなくちゃいけないかと。
3月の面談時は大出血の後でしたので、今は見違えるように顔色もよくふっくらとしていらっしゃいますね。
今日のお話でも抗がん剤なしで、ワクチンだけでもいい状態の方が結構いらっしゃいましたし。
抗がん剤の量を少なくして、何回かに分けて投与するとか、標準的な化学療法にとらわれず、1週間やって1週間休む、5日やって2日休むとか、そういう形で続けられている方もあります。 ご自身ががん患者の医師などは自分で按配してらっしゃいますね。
Kさんは、薬の量、少し落とされたのではなかったんですか?

Kさん

落としたんですが、白血球の戻りが悪く、これ以上少ないともう薬の効果はないと言われました。が、私は効いたんです。 腫瘍マーカーがすごく下がりました。

岩城医師

その人に合った量というのがあると思いますね。 多く投与すればいいというものではないのです。が、抗がん剤はどういうわけか、非常に画一的ですね。 体重とか体表面積から決めてしまって。

リンパ浮腫が出ましたが、輸血と弾性ソックスで改善されました

Lさん

(71歳 2007年発症 卵巣がんIII期 約1年経過 抗がん剤術前1回術後複数回 リンパ浮腫 丸山ワクチン歴1年4か月) 私も発症がいつかは全くわからないんですけど、卵巣がんということで、2007年3月8日に手術をしました。 腹水が溜まり卵巣も大きく腫れていたので、抗がん剤で小さくしてからということでしたが、1回の投与で効果がありましたので、手術になりました。 卵巣を両方と、初期がん状態の子宮と、腹膜にも少し転移が見られるということで切除しました。
手術後高熱が続きました。腹膜の皮膚をぺろんと剥がすようにとったので、それが原因で発熱したとのことでしたが、あまり続くので落ち込んでいましたら、主人から「病気は仕方がない。 心まで病気になるんじゃないよ」と言われてなるほどと思い、それから少しずつ前向きな考え方になりました。
7月1日に退院し、その後もずっと抗がん剤治療は続けています。 副作用では、吐き気は殆んどなかったんです。 ただ、判で押したように、抗がん剤を打って4日目になると、全く食欲がなくなるんです。 食事はもう見ただけで嫌で、食べたくないんです。 それが不思議と4日目で、5日目になるとまただんだんと食事がとれるようになるのです。
他には骨髄抑制があって、白血球と血小板がすごく減少してしまうので、最初はマンスリーだった治療を、ウイークリーに変えました。
退院時には抗がん剤をずっと継続するような話もあったんですけど、今月いっぱいで一応治療を終わりにして、様子を見ていくことになっています。
ただ、3月中旬にリンパ浮腫が出て。 寒いのにちょっと無理をしてしまったらしく、歩くのにも右足が上がらなくなってしまったんです。
ちょうどその頃、血液検査でひどい貧血がわかり、浮腫みの原因が貧血の場合もあるということで、入院して輸血したところ、浮腫みも治まりました。
その後も時々右足が重いような、だるいような感じがある時には、手術の時に履く圧をかけるソックスを履くと、だいぶいいようです。
自分でこう、調節をしながら、何とか今のところは元気で、「病は気から」ということもありますので、私も前向きに前向きに、お友達とおしゃべりしたり、映画を見に行ったりして、毎日を過ごしております。
丸山ワクチンは、まだ1年と4か月ぐらいなんですが、最初はAB、今はAAで1日おきでやっています。 通っている病院で火木土と、土曜日なんか緊急外来で打ってもらうこともありますが、続けています。 抗がん剤の治療が終わってしばらくは、丸山ワクチンだけです。

私、ほんとに卵巣がん?

Mさん

(66歳 2000年発症 卵巣がんIII期 8年経過 2000年8月29日手術 1か月後から抗がん剤27回 現在は年1回抗がん剤 丸山ワクチン歴2002年4月から6年) 発病したのは2000年で、2年後から先生に勧められて、効き目を疑いながらも丸山ワクチンを続けてきました。 抗がん剤は24、5回、今年も2月に打ちまして、まだ髪の毛が生え揃わないので、帽子をかぶっています。
セカンド・オピニョンもとらなかったので、がんかと疑うくらいずっととても元気で、腫瘍マーカーも14、5でぜんぜん変化してません。
健康人が抗がん剤やっても、平気なんでしょうか、異常が出てきますか?

岩城医師

がんの方でも異常が出ます。 すごい異常が出てくる方もいます。 あなたの場合は(SSM治験登録書を見る)、申し訳ないのですが、やはりがんですね。 病理組織もはっきりしてます。
違う可能性もあったのですか?

Mさん

あ、そうですか。担当医からはいっさい、じかに説明を受けていなので。IV期ですか?

岩城医師

確かに良くはないけれど、III期にはなってますね。 ここ(カルテ)では非治癒切除ですから、手術しても残ってしまいました、ということになっています。

Mさん

ああ、そう言われました。それで発病してからもう8年たちました。抗がん剤の薬が合っているようで、何年か前からは半年に1回とか、2、3年前から1年に1度になりました。
先生からは、「10年間は続ける。原発が不明なので、どこに潜んでいるかわからないから抗がん剤でたたく」と言われて、タキソールとカルボプラチンを投与されています。

岩城医師

ワクチンはもう6年ですが、いかがですか?

Mさん

週に2回してますけど、週に1回ぐらいになるのはまだ先の話なんですか?

岩城医師

そろそろ1回でもいいんじゃないかと思います。

ワクチン、抗がん剤を上手に使って、自分の力で病気を治す

岩城医師

Mさんのように、抗がん剤をやめないで、年1回だけ続けるというケースは特殊ですね。 実を言いますと、そういうやり方は私達の頭の中にはないんです。初めて聞きました。
年に1回で、それで良かったのかもしれませんね。 丸山ワクチンを予防にやっているように、年1回の抗がん剤で芽を出そうというがん細胞をたたく、そういうことなのかどうか、担当の先生にお聞きしたいと思っているくらいなんですけど……。

Mさん

抗がん剤はよく、最初の1回は一番効くんだって聞いたことがありますが?

岩城医師

それはあるようですね。

Mさん

おなかを開けて、特にじかに入れるとよけい効くとか。

岩城医師

ああ、そうですね。Fさん、あなたは抗がん剤の腹腔内投与、1回で終わってますよね。

Fさん

はい。抗がん剤はできればしたくないのですけど、最初の1回は一応効くと言われて、1回目に確かに良かったようなので、再発時にも1回だけは仕方がないから受けることにしました。
同じ時期に入院していた人達はみなさん、先生のおっしゃるとおりに何クールもやり、効かなくなると次の薬に……。 最初はあまりダメージがなかった方も、だんだん出てきて。
私が紹介して丸山ワクチンを始めた人もいたんですが、受ける時期がもう遅いかなとか。
食事療法も、おいしいと思って食べ始めるようになったら、その後すぐに病状が悪化して食事がとれなくなったり。 何でも始める時期がなるべく早い方がいいような気がします。
私はずっと白血球値が低かったのですが、ワクチンをAAに変えてやっと3000台になりました。
再発手術後に抗がん剤を入れた時には、副作用を軽減するために、こちらの先生のアドバイスで入院中毎日ワクチンを打ってもらっていました。
とにかく、最初の手術の後すぐワクチンを始めたのが正解だったと自分では思っています。 だから当分、回数は週2回に減らしましたが、続けていきたいなと思っています。

岩城医師

ワクチンが副作用を相当おさえるだろうというのは、何人かのお話にもありましたが、それだけでなく、がんそのものを包み込むっていいますかね、だからFさん、3cm×5cmとおっしゃいまたよね、2回目は。 効いていたと思うんですよ。

Fさん

中心の悪性のものが表に直接出なかったので。 そういうふうに解釈しています。

岩城医師

そうですね。 やはり、コラーゲンで包囲して、がんの血行を抑え、悪性度を下げる、そういう効果があるんでしょうね。 悪化が進みすぎて体力がなくなって、インターフェロンが出ないような状態ではちょっとまずいんですけど。 あまり抗がん剤をやりすぎると体力が消耗しますので、ワクチンも効かなくなります。
自分の体はやはり自分の力で治すしかないと、私は昔から思っています。 バランスが大事で、抗がん剤も相当よく効きますので、使う時にパっと使って、後はずっとワクチンで治していく。
丸山ワクチンの仕事を25年やって一番感じるのは、上手な抗がん剤の使い方をすることですね。
今どこでもみんなエンドレスで続けていくということをおっしゃるんですけど、抗がん剤が強過ぎると体が負けちゃうような気がするんですけどね。
私は長くいるからこういうことを言えるのかもしれませんが、丸山ワクチンはやはり、誰がなんと言おうと、これだけ副作用がなくて、一定の効果がある薬はそう簡単にはできないだろうと思います。
みなさんもご存知のように、アメリカ等で出された新しい薬、*ドキシルですか。 今ようやく使えるようになりましたかね、そういった薬とかもあるんですけど、結構副作用も強いですし。
ご自身で、じゃあ自分はこうやりたいって、自分で考えることも必要でしょうね。
もう一つだけ、今までお話が出なかったんですけど、一時放射線を勧められたという方がいらっしゃいましたよね。 「放射線が良かった、バッチリ効きました」とカルテに書いてあるのですが。
放射線はどうなんでしょう?

放射線治療

Eさん

放射線を受けてから1年半くらいたつんですけど、ぜんぜん出てこないです。

岩城医師

「放射線どうですか?」と言われて迷ってる方もいらっしゃいますので。
Eさんのようにバッチリだった方もいるし、放射線治療で副作用というか、後遺症があるという方もいます。 いい人悪い人、それぞれだとは思いますが。
Kさんのように「大出血がきたら終わりです」なんて言われてしまっている方をみると、何かやらないといけないんじゃないかと……。

Kさん

そうなんです。 出血して貧血起こすと、輸血で対応するんですけど、「出血を止めるには、放射線じゃないとむずかしい」って言われました。
がんそのものの治療に放射線を使ったことが1度だけあるのですが、事前に腸閉塞の後遺症があると説明されていたので、すごい怖い思いをしました。
照射後、胸がドキドキして、夜は眠れない日が3日続き、これでは鬱病になるか胃に穴が開くか、円形脱毛症になるか、他の病気が出てしまいそうなくらい体調が悪くなったので1回でやめてしまいました。 大出血した時にも、「放射線、ほんとは効くんだけどね」と言われても、怖くてできない状態なんです。

Eさん

私も出血があって、3か月間くらい担当医に「出血するんです」と言い続けたのですが、「ああそう」と言うだけで。 長く続くと体に悪いと思うので、「放射線、受けたいんですけど」って強引に頼んだんです。

岩城医師

ご自分から言ったんですか?

Eさん

そうです。 担当医にいくら訴えても先に進まないので、放射線を受けてみようと思って。
放射線を受けたら、出血がピタッと止まって。その後1年半ぐらいたつんですけど、大丈夫です。
あのまま出血し続けていたら、おかしくなっていたと思うんですけど。私はがんになってもう10年以上ですが、自分で駄目と思ったら強引に何か頼んでみる……。

Dさん

私もこの間、放射線を初めて勧められて、「卵巣がんに効かないけど、やってみる?」っていう言い方なんで、ちょっともう(一同、ええーっ)、「様子見さしてください」って。
肝臓、小腸、大腸それぞれに転移した時も、抗がん剤と手術だったんですけど、今回は放射線の話が出て。 でも今の話を聞いて、放射線もいいかなって……。

Eさん

ああ、いいと思いますよね。今も喉が痛いので、耳鼻科への紹介状をもらっています。 まだ行ってないんですが。 もしその辺がおかしかったら、「放射線してください」って言おうかしらと思って(一同笑い)。

Bさん

私も放射線をやりましたけど、やっぱり後遺症はすごくあります。 放射線の後ずっとおなかが痛くて、痛み止めを飲んでも治らなくて、「がまんするしかない」って言われるんです。
普通の痛みじゃない、ものすごい痛みをずっとがまんしてるんです。

岩城医師

痛みが弱くなることはないんですか?

Bさん

日にちが解決してくれるんですけど、10日ぐらいは続きます。ほんとうにかなり痛いんで。
腸閉塞までいけば食べられずに入院して点滴とかになるんですけど、歩いて病院に来られるくらいならがまんしなさい、ということで。 非常に辛いんです。 ものすごく痛いんです。
放射線してから足の痺れも、毎日、かなりひどいんです。

岩城医師

むずかしいんですよね、場所にもよると思いますが。 良いことも悪いことも教えていただいて、ありがとうございました。私はすごく勉強になりました。
みなさんは引き続いて治療していかれると思いますが、面談をしていて、こんなにいいお話、みなさんにも聞いていただくと参考になるんじゃないかという思いがありましたが、なかなか機会がなくって……。
今日はありがとうございました。最後に、何か、ご要望でも……。

Aさん

とにかく認可されて、少しでもいい方向になるといいなと思うんですけど……。

南木

そうですね。 認可の運動ももう30年続いています。 なかなか成果は現れてないんですけど。
そもそも、こんなふうに、厚生省が有効性は判断できないといったんは判断した薬が生き延びられた、というのがまず珍しいと言われてまして。 使ってくださってる方の支持があるからだろうと。 なんとかもう一歩進めたいと私達は思っていますので。 それにはみなさんの応援が一番大切かと思いますので、よろしくお願いいたします。
NPOの方から何か。

丸山

日本医科大学免疫学の先生が、NPOの研究助成金を申請され、春ぐらいから実験を始められています。
ただ、非常に時間がかかることで、1年2年ですぐに結果が出るかどうかわかりませんが、今後も若い方にも研究に関わっていただけることを期待しています。
患者さんのご支持とご協力もお願いいたします。

岩城医師

お疲れのところ、ほんとうにありがとうございました。
今日は東京近郊の方のみのお集まりでした。 遠方の患者さんで大変経過の良い方もいらっしゃるので、そのご紹介もできたらと思っていたのですが、残念ですが時間がなくなりました。

用語解説

*腫瘍マーカー

がんが産出する特徴的な物質のうち、体液(主として血液中)で測定可能なもの。
卵巣がんではCA125(糖鎖抗原125)やSTN(シリアルTn抗原)などがあり、がんの動態を把握する(治療効果や経過観察など)のに使用されている。 がん以外でも値が上がる場合もある。
CA125ではカットオフ値を55U/mlとすると卵巣がんの約80%が陽性、一般的には~35。

*大網

胃から垂れ下がり大腸小腸をおおっている大きな網のような脂肪組織。卵巣がんの移転が最もよくおこる組織で、切除しても実害はないと言われている。

*卵巣がん化学療法

TJ(TC)法
タキソール(パクリタキセル)+カルボプラチン を週1回点滴、3週間休薬。
これを6クール点滴するマンスリー法が、現在の標準的な化学療法。
副作用として、強い骨髄抑制と末梢神経障害がある。

DJ法
タキソテール(ドセタキセル)+カルボプラチン 投与法はTJに同じ。
TJに比べ、末梢神経障害は軽度だが、骨髄抑制はより高度で出現する。

ウイークリーTJ(TC)法
タキソールを1週間に1回、カルボプラチンを3週に1回連続投与、1週休薬。
抗腫瘍効果が高く、 副作用のコントロールがしやすく、通院治療も可となった。

トポテシン(イリノテカン)
日本で開発されたアルカロイド系の薬。 白金製剤が効かなくなった場合に用いられることが多く、有効性も報告されているが、副作用が強く、重篤な下痢は致命的とも言われ、使用できる患者は限られる。

べプシドS(エトポシド内服液)
植物アルカロイド系製剤。 DNA合成に関与するトポイソメラーゼに作用し、DNA複製を阻害するため、腫瘍細胞の増殖を抑える。 肺小細胞がん、悪性リンパ腫などに用いられることが多い。
骨髄抑制、間質性肺炎、ショック、肝機能障害、消化器障害などの副作用があり、長期使用により白血病になることもある。

ドキシル(ドキソルビシン)
ドキソルビシン塩基酸をPGFリポソームに封入し、ドラッグデリバリーシステムを活用した製剤。
マクロファージに捕まらずに、血管を通過できるほど超微小化したリポソーム(カプセル)が血管から外に出てがんに辿り着くことができるので毒性が軽減され、また徐々に薬剤が放出されるため、作用が長時間に及ぶとも言われる。 皮膚に潰瘍を生じることがあり、動物実験では腫瘍組織への薬剤蓄積が10倍程度に高まったとの報告も。 骨髄抑制の程度に関してはまだ不明。
欧米で承認されているが、日本では卵巣がんへの適用拡大を申請中。

抗がん剤の腹腔内投与
シスプラチンやタキソールなど。効果的とも、副作用が強いとも言われる。

*放射線療法

化学療法と組み合わせて、臓器や機能の温存を目指した治療法。 骨や脳などへの転移に伴う疼痛や神経症状を抑える目的で使用することもある。 陽子線を使った先進治療法も。

*気功

気(生命エネルギー)によって自己の免疫力、治癒力や調整力を高めて、健康のレベルを上げ、自養其生(自らその生命を養う)することを目指す健康法。 自分で行う養生気功を内気功、内気功で養った力を外に出し他人のために気を与えるのが外気功。

*セカンド・ルック・オペレーション

最初に行われた治療により、病変部がどうなったか確認するための手術。 最近では、開腹手術は体への負担がかなり大きいので、CTなどの画像診断や、内視鏡による観察が主流。

*明細胞がん

透明な胞体を持つ細胞がんの総称。卵巣がんや腎臓がんが知られている。 子宮内膜症や卵巣チョコレート嚢腫が明細胞がんの前がん症状であることが多いと言われる。

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