体験談

丸山ワクチン患者・家族の体験談や電話相談の内容をご紹介します。

患者・家族の立場から

父が繋いだ命のバトン

原発部位

肺がん

私の父は鹿児島で寿司店を営んでおります。

今から40年ほど前、祖父は肺がんで余命4ヶ月の診断を受けました。
本人に告知はしなかったそうです。

まだ、インターネットも無い時代 自分の父親を助ける為、あらゆる情報を集め丸山ワクチンにたどり着いたそうです。

そして、丸山博士本人に1度お会いした事があると聞きました。
父曰く「神様のような人だった」と言っています。

その当時打って頂く医師を探すのもとても大変だったと言っています。

何も知らない祖父は、数年後「もう面倒くさいからあの訳の分からない注射は打ちたくない。」と父に行ってきた時、「親父!実は癌だったんだよ。今だから言うが。これを打たないといけないんだ!」と初めて告知したそうです。
その夜祖父は「恐ろしくて眠れなかった。」と言っていたそうです。

それから、普通に生活しながらも大腸がん、胃がんを乗り越えて余命4ヶ月の宣告を受けてから15年後、老衰で天寿を全うしました。

それから10年後。

息子の私が肺がんと診断されました。

ステージⅣとの診断がつきました。
卒倒した母を兄二人が抱きかかえ、父はガタガタ震え泣いていました。
そうなる分かっていた私は両親に伝えるのだけは辛かったです。
父は「丸山ワクチンを打ってくれ」と声を絞り出しました。
「大丈夫。自分で手配するよ。爺ちゃんに効いたんだから俺にも効くよ。」

手術当日 妻に「播種していたら閉じます」と言われ開始した手術でしたが「播種していますが、した直後の様子ですのでこのまま手術を続行します。」となり、右中葉切除しました。

「3センチを超える腫瘍が大きな欠陥を取り込んでおり、今後どの臓器から再発してもおかしくない。抗がん剤で全身を叩いておきましょう。」と。


私は結婚し、借金をして飲食店を開業し、仕事に明け暮れている毎日でした。

「妻とろくに遊びに行ったこともないんです。何より子供が欲しい。抗がん剤は拒否します。」

担当医の先生が必死に説得してくれました。

そして、抗がん剤をする事を選択しました。
丸山ワクチンをこの病院で打ってほしいと懇願し認めてくれました。

全3クールのうち、1クール終わったら東京へ行く許可をもらいました。


そして、日本医科大学へ行き丸山ワクチンを頂きました。
そこで、この患者の会の方々からも優しいお言葉をかけて頂きました。

抗がん剤を3クール終えてからも週に3回 丸山ワクチンを打ち続けました。
無痛、無症状になっても打ち続けました。
心配をかけた妻と両親、兄たちへの謝罪の意味も込めて。

そして、私の肺がんが見つかってから15年経ちました。

立ち上げた飲食店の個人店は株式会社になり、今年、6年生の男児と3年生の双子の男児(一卵性)と妻と5人で毎日幸せな日々を過ごしています。
ファミリーキャンプが趣味です。

父は「親の為に必死になってたどり着いた丸山ワクチンが息子を救う事になるなんて夢にも思わなかった」と言っています。

ととより
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