体験談

丸山ワクチン患者・家族の体験談や電話相談の内容をご紹介します。

患者・家族の立場から

癌は死ぬ病気ではない

原発部位

胃がん

「潰瘍だ!大きいよ!深いよ!(ナースに向かって)フィルム一本追加!」医師の態度は平静さを欠いている。内視鏡を外したところで質問して見た。「線状ですか?斑状ですか?」やや間をおいて「まるい」 嘘ついているのがはっきりした。キヤガッタカ!と思う。
63歳を迎えた平成4年7月のことだ。

 一週間後に呼び出しがあった。医師の説明を待たずに「自分では中期の癌と考えるが、それでいいですか?」
 ノッケからぶつけたらやや間をおいて「そう思っていれば間違いない。入院の手続きをしていきますか?」「中期だと切ってもいいところ五年ですね。今の状態なら五年は動けますね。このまま動けるだけ動きます。」「そうゆう考え方もあります。」
“なってしまったものはしようがない。これから約五年間をどう対処してゆくかだ。”帰路の電車の中で種々考えて見たがおいそれと名案が浮かぶはずもない。
「中期の胃癌だ。」治る可能性があるので医師が告知したと思いこんだ家内は、たいした衝撃もなく受け止めたようだった。

 関連する検査を種々やっているうちに、中期でも""なり立て”の中期らしいと判断出来たので、手術することにした。
 手術をすれば当分体力は減退するだろう。体力のあるうちに旅行しておこう、と思い立った。大抵は二人で出かけるが、長女が出産を控えていたので一人で行くことにした。ツアーの候補は二つ。“阿波踊り”と“本州さいはての旅”、阿波踊りも見たいが暑そうなので青森にした。

 羽田の集合場所に一番で到着。二番目に来られた十六歳年上のMさんと話を始めた。Mさんもいつも同伴される奥さんが足を痛めて今回は一人参加とのこと。小生が癌でオペ待ちと話すと、Mさんは十年以上前に胃癌のオペをして“余命四ヶ月”と言われたが、SSM(丸山ワクチン)を続けて今日に到っているとのことだった。

 機中も隣同士、車中も隣同士、宿も同室の数日間を過ごしたが、体は細いが食欲があり、身のこなしも素早く、とても手術の体験者に見えないし、歳も感じさせない。SSMの効果の見本のように見えた。SSMには関心は持っていたが、体験談も聞き、関心が確実に変わって行った。思えば二重三重の偶然が重なった大きな出会いであった。

 幽門部を含め胃の四分の三を摘出、膵臓全摘、リンパ節大幅切除。順調に経過するかに見えたが癒着起因腸閉塞となり緊急手術。併せて百日の入院となったが、早く仕事がしたい、早く写真を撮りたいの一心でがんばった。入院中もカメラを手許に置いていた。
 退院数週間後日医大の説明会へ。帰り道、湯島天神の梅を見に行ったがその後十年、良く通った。

 オペをした病院から抗癌剤を頻繁に勧められて不承不承服用したが、調べて見ると欧米では問題にされていないフルオロウラシルだったので一年足らずで打ち切った。
 オペから満四年経った面接時に岩城先生がしげしげした調子で「よーくこの癌で生きながらえましたね!もう少しで逸見さんのようになるところでしたね!」タチの悪い印環細胞癌の中期だったことを指しているのだ。SSMにキトサンとプロポリスを併用しているが、夫々相俟って効果を高めていると思っている。

 「癌を患った者は三十の目標を持て。」との話を聞くが、ものぐさの小生にとっての三十は無理だ。そこで好きな写真の個展を開くことにした。テーマは花を中心にした植物写真で撮影に出かける、花との出会いを捜す、撮影記録を残す、DPを依頼する、プリントを検討する、色調によって再プリントを依頼する、作品候補を絞って大伸ばしを依頼する、会場の交渉、DM作成、配布、作品の額装、搬入、展示、会場での応接、芳名録整理、搬出、礼状発送、その他諸々・・・。これをもって目標を持ったことにしている。

 ヘタな写真も90歳になれば少しは上手くなるだろう、90歳になったら個展でも開こうと思っていたが、これだけつまずいたらどこまで生きられるか疑問だ。生きている間にやろうと66歳の誕生日を期しておこがましくも第一回の個展を開いた。最終日に来客が途切れた時、作品を眺めながら“やって良かった!”と涙がでてきた。
 第一回の個展から早八年。今年も”花と遊ぶ”のテーマで可愛いい花・楽しい花の写真展を準備している。

 人はだれでも死ぬ。しかし。与えられた命を大事にしたい。癌は死ぬ病気ではない。然し、死亡記事の中に癌死が多いのは何故か?打つ手を間違えたのか、諦めたのか?6年前の6月、従兄弟、実弟、友人いずれも60歳前半で一週間の間に相次いで他界した。手遅れだったり諦めたり小生の進言を無視したり。諦めきれず、残念で、精神的ショックに襲われ、立ち直るのに一ヶ月くらい掛かったのが、小生には一年くらいまえのことのように思い出される。彼らに欠けていたものは生きることへの執念だったのでは無いかと思う。

                    山本 昌造

患者家族の会からお知らせ
第一号の体験談をお寄せくださいました山本様は、残念ながら2006年11月4日、亡くなられました。77歳でした。
奥様がわざわざワクチン療法研究施設をお訪ねくださいまして、「ガンは卒業したけれど、脳梗塞で2回目の発作で助かりませんでした。本人はそれまではとても元気で、趣味の写真やボランティア活動を精力的に行い、いい人生だったと思います。」とお話くださいました。
体験談に住所、電話を載せてくださいましたので、お問い合わせも多くあったそうですが、今後はできなくなりましたので、住所、電話は削除しましたが、体験談はそのまま掲載させていただきます。心より山本様の御冥福をお祈り申し上げます。

事務局より
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