体験談

丸山ワクチン患者・家族の体験談や電話相談の内容をご紹介します。

患者・家族の立場から

共に生きる

原発部位

その他(消化器)

生きる・・・7日間
私は以前より公立T総合病院外科のSドクターを医師としてだけではなく人間としても尊敬していて、個人的にも知り合いであったが、一患者として診察を受けるために早朝でかけたのである。

8:45分診察。
症状を説明後直ちに、各種検査が始まった。
血液検査ーCTスキャンの造影剤による副作用による嘔吐する。 救急室で40分近く安静にし点滴。

診察室に戻りフイルム画像を見る。
S・ドクターより
「すい臓がんの可能性90%・・・」
と告げられる。

フイルムを見る先生の表情は「まずい」という感じだった。
即座に転移がなければ「手術」転移があれば「化学治療」と告げられる。
私は一瞬「エッ」どうして・・・
父方、母方に誰一人といて癌を発症した人間がいなく、自分は循環器系の疾病で終わるのだと信じて疑わなかった。
遺伝的体質が癌発症の大半の占めるといった思い込みが砕け散った瞬間だった。

「とうとうお迎えが来たか!考えていたより少し早かったな・・・」
そんな思いを抱きながら国道254号を愛車の軽自動車を運転しながら帰って来た。心に動揺らしきものはなかった。

午後30年来の友人のTさん宅へぶらりと出掛ける。
淡々と癌の宣告を受けたと告げる。
彼の兄弟も肺がんで亡くなっていた。

「よく淡々としていられるよな・・・・自分はそんな状態でいられるだろうか・・・」という。
告知1日目が終わった。

昨夜はあれこれ考えたが5時間ほど連続で眠れ4時ごろ目が覚めた。
「・・・膵臓癌は「がんの王様」と呼ばれています。膵臓癌と診断を受けた時、多くの場合余命も宣告されています。一般的に1年以内、転移があれば6ヶ月程度と言われます・・・」

インターネットの「すい臓がん」情報は全てが、「癌が発見されたときは90%手遅れ・・・」であった。
自覚症状がはっきりしていた。胃の違和感、背中の痛み・・・
1ヶ月前には437という血糖値の異常な高さ・・・。はっきりと兆候があったのだった。

告知によって一番自分にとって重要な問題なのは、
「体が自力で動かせるのは約3ヶ月という現実に、
心がどのような反応を示すのかが問題であった」
私は心を覗くことに集中していった。65年間どのように生きてきたか、
「最後の審判」
を自分自身で下さなければならない・・・。
妻と相談し、子供だけには事実を告げようと一致した。
東京の息子に電話した。すい臓がんを告げた。
声がすすり泣きに変わった・・・前橋の娘に電話した。娘婿が電話に出た。娘が直接電話に出なかったことにホットした。
「明日、全員集まってくれ」と告げた。
告知2日目が終わった。

午前中に家族全員が集まった。

市内の飲食店へ全員で食事に行く。
私自身「最後の晩餐?という心境だった」
2階の500号白鳥湾の油絵の前で写真撮影。家族全員で。

午後、妻に孫の相手をしてもらい、
長男、長女夫婦に私の癌のこと、私の心境。あとに残される妻のこと、全てを洗いざらい話をした。

子供たちの家庭はインターネット環境にあり、すい臓がんの何たるかを全員が認識していた。

子供たちはただ泣くだけだった・・・・


長男は休暇をとってきたと1日を家の周りの整理や方付けで共に過ごす。
余命を計算し、心残りがあるとすれば白鳥の塔建設計画が夢に終わることで、何とか構想だけはまとめて残りの時間でサイト上に残したいものだと打ち明ける


午前9:00
藤岡市「くすの木PETセンター」 へ2時間30分ー検査時間。
午前11:30終了ー
午後9時10分 メールにて報告。
S・ドクター、有難うございました。

CT画像を見て、インターネットで調査すればするほど、また現れてきた自覚症状の様子からガン転移をほぼ確信し 1年以内の余命と覚悟を決め、
家族全員を5月13日に集め、そこで家族全員に言いました。

「人間の一生は時間の長さで決まるのではない、 どのように生きたかの納得で決まるのだと40代になってから生きてきた。 だから自分の生命が何時終わっても悔いのないように生きてきたつもりだ。
そしていまその基本姿勢が本物かどうか試されようとしているが平常心を保てそうだ。私のことは心配するな。
君たちはそれぞれの未来に向かって責任を果たしていってくれ。本人が絶望しないのだから君たちのほうがしっかりしてくれ・・」
そのようなことを話しました。
そして先生から今日の午後3:30分ごろ電話をいただき、
転移がなく手術が可能だとの話を しますと憔悴しきっていた妻も、今日会社を休んで待機していた長男も、声を殺して泣きました。

このとき
「私は家族をはじめ多くの人に支えられて生きながらえてきたのだ」と あらためて心のそこから感じることができました。

午後3:30分
公立T総合病院S・ドクターから電話でPET検査の結果が入る。
「他に転移がありません。予定通り手術をいたします!入院の手続きに入ってください」妻と長男が泣く。すぐに娘に電話を入れる。
午後4:00
妻と二人で公立T総合病院へ入院手続きに出発。

午後7:00ー帰宅し入院の準備に入る。
長い長い1日終わる。


8:45 藤岡の自宅を出発。
9:20 T総合病院に到着 A棟3階病室に入る
12:00 昼食 重湯・ヤクルト・具なし吸い物・・・
口の中の消毒うがい今日中に10回。
風呂に入る。 個室に移動する。パソコンセット。
3時15分 S先生が病室に顔を出す。
下剤を飲む 。
カーナビDVDでビデオを観賞する。
6:20分 腹が減った・・・食事が来た!
1時間半前から耳をそばだてて待っていた。
お膳を見た。驚くなかれ、
重湯が茶碗に3分の一とわずかな味噌。コーンスープカップに3分の一。紙パックのリンゴジュース・・・・。

固形の食べるものなどひとかけらもないのだ。
これが最後の晩餐になるかも知れない夕食メニューなのだ。
昼食は深く考えずに腹に入れてしまい失敗したので、 今度はゆっくりと口の中で嘗め回し 味わいながら流し込んだ。

こうしてパソコンを相手に不満をブチマケている自分は 昨日は多くの人に支えられて生かされているのだという 「真理」感じたのに おなかの訴えに、ついあいづちを打てしまっう情けない人間なのだ。

午後7時現在、の体の症状は、背中が完全に痛みを増してきた。 すい臓癌の位置である。
危機一髪の瀬戸際での手術になっていた。 S・ドクターに感謝、感謝。


「万が1に備えて書き残すこと」
 お母さんへ 40年間わがままな私に連れ添ってくれてありがとう。感謝いたします。
尚美と、心へ 万が一のことがあったら二人でおかあさんをサポートしてください。
わたしが3人に出会えたことは奇跡で神秘以外のなにもでもありません。

わたしの人生というキャンバスに、 どれほどの豊かなと色彩、実りをもたらしたか計ることは出来ません。
わがまま(わが道をゆく)を押し通してきた私は、3人にとって心配の種だったでしょう。 私はその分充実した人生を送らせていただきました。

死の土俵際に立っても心はほとんど動揺することなく正面から現実を受け止めることが出来るのも 3人のおかげです。
わたしは、3人にお金や物質的な物を残してやることは出来ませんでしたが、 しかし真の価値観や、人生の生き方など「心と魂」の栄養を子供のころから与える努力をしてきました。
わたしが確立した世界観、価値観からしたことですが、いつか3人にきっと[大きな実り]となって帰ってくることを信じて疑いませんでした。

ここまで生きてこれたのも多くの方から「陽に陰に」支えられた結果だと感謝の心でいっぱいです。 65年間を全速力で走ってきたような気がします。
思い出してみると 40代前半に遭遇した臨済禅の影響から大きく方向転換しました。 それからは年をおうごとに深化した思想が信念になり、行動へと高まっていったようです。

「今日1日、悔いのないように・・・」 これがしっかりと定着するようになって、沢山の迷いから開放されるようになりました。
学生のころ「人生いかに生きるべきか?」を自問自答したころ、下宿のおばあちゃんが(日蓮宗の熱心な信者だった) の話しを聞きたくなって自分の悩みを話しました。
「あなたは将来、必ずその解答をつかみますよ・・」と確信に満ちたように言った言葉が今も耳にはっきりと残っております。
それから45年やっとその予言が当たっていたと思い出します。


私は充実した納得できる人生を過ごすことが出来ました。自分に 80点やれそうです。それもみんな、みんな家族のおかげです。 ありがとう・・・・


午前6:00水は中止。口内殺菌うがいは手術前まで行なう。
8:00 血圧154。動脈から血液検査(酸素濃度を測る)
S・ドクター様子見に8時過ぎ来室。
(家族に切り出したすい臓を見るかどうか聞いてみてほしい・・・)
写真をインターネットに載せたいので頼むことにした。
座薬で浣腸 動脈から血液検査(酸素濃度)血糖値145

9:30 麻酔科のM先生説明に来る。
手術は3時間プラス1時間(準備など)計4時間との説明。  
麻酔は胸部からモルヒネを投入(過去に椎間板ヘルニア手術があり背中からの注入は無理。手術は全身麻酔で行なうとのこと。)   

2007年5月17日 
午前9:30   T総合病院 病室にて記。   
65歳 (すい臓癌手術6時間前)


お父さんへ   
  昨日ほど一日が長く感じられたことは、今までなかったよ。手術前のお父さんは、これから大きな手術を控えているのに いつも通りで、お母さんや私のほうが平常心でいるのに苦労したのよ。
さすがだね・・・手術が始まってからは、神様に祈るだけ・・・こんなに時間が過ぎるのが遅いと思わなかったよ。

二時間が過ぎた頃、先生に呼ばれて、手術室の隣の部屋に入ると、今お父さんから切り取られたばかりのすい臓と脾臓があったの。「ここの黒い所が、癌細胞です。」と説明され 「写真もちゃんと撮ったので、大丈夫ですよ。」と聞き、逃げるように部屋を出たの。

だって、もう立っているのがやっとだったのよ。お父さんは手術前に、切り取った臓器をの写真を何枚も撮っておくように、私達に言ったけど、それどころじゃないのよ・・・ 先生が配慮してくださったから、本当に良かったのよ。
看護師さん達も びっくりしていたよ。

今までこんなことした人いないんじゃない?何はともあれ、全摘出?!というくらいの大きなすい臓と脾臓を無事に摘出して、お父さんの手術は成功!!面会出来るようになったと部屋に呼ばれたのが、その二時間後位。まだ半分麻酔が効いているみたいで、意識もしっかりしていなくて、「ウーウー」と苦しみながらベットに横たわっていたの。

見ているのもとっても辛かったけど、辛いのはお父さんなんだから、何かしてあげなくちゃと、かすれた声で何か訴えているお父さんの言葉を聞き取って少しでもお父さんの痛みが和らいでくれるよう私に出来る事をしたの。一時間位したら、痛み止めのモルヒネがだんだん効いてきた みたいで、少し眠り始めたから、そのまま少しでも眠れるようにと私とお母さんは病院を後にしたの。


長い7日間でした。

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私は現在ガン手術から15ヶ月。丸山ワクチン単独投与から4ヶ月になりました。2008年9月19日 記

自立と共生 http://www.tetsuaki.net/





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