体験談

丸山ワクチン患者・家族の体験談や電話相談の内容をご紹介します。

患者・家族の立場から

闘病生活から見えてきたこと

原発部位

悪性腫瘍

 私は人生のほとんどを、闘病生活で過ごしてきています。本来の病気(疾患)の発病は七歳まで遡ります。当時は現在のように検査機器も十分になかった為、原因不明のまま、先は長くありませんと言われていました。
 そんな中でアデノイド、気管支喘息と次々に病魔に襲われていましたが、これが幸いしたのか、病気や通院などに馴れてしまい、それが当たり前の日常になってしまいました。定期的な通院や検査、長期入院が私にとっては「普通」になってしまい、当時の検査機器では、異常があるが原因がわからないので、数多くの病院やクリニックを「渡り歩く」生活がスタートしました。決して楽ではありませんでしたが、人の縁の拡がりだけは間違いがなかったと感じています。
 転機が訪れたのは義務教育終了直後、人づてにSSMの紹介を受けた昭和51年11月でした。未だ治験薬の検証中の時で、試しに使って見てはとの話から、開発した丸山医師とその知人の主治医を通して使用がスタートしました。
 現在の研究施設はまだありませんでした。実験室で作製・精製されたされたものを分けてもらう形で始まりましたが、いま思うと極めて画期的なスタートでした。そして時期を同じくしてCT(コンピューター断層撮影装置)か開発されたのです。検査機器の登場から私の病気の原因を探すことは容易になりました。そして検査と手術に漕ぎ着くことができました。
 人の縁でワクチンに出合い、ここまで来たのは周囲の人々のおかげだと感じています。また丸山ワクチンに組織修復作用があることを聞き、注射液の僅かな残を皮膚の傷口に塗ることによって、治療効果が上がることにも気が付きました。これは私の長い闘病生活から得た智慧です。
 私の病気の解明に検査機械の開発を待つ必要があったのは事実です。しかし、知人から紹介されていなかったら、まだ苦しんでいたかも知れません。大学の実験室で精製された時期から使わせて頂いている事に感謝しなければなりません。闘病生活の中では、人との出会いが、医師とのつながりが、またそういった人々との繋がりがいかに大切かを感じています。闘病生活に疲れた時、もっと重症な人がいる事を考えないといけないといつも考えていました。私は闘病生活の方が長かったので、苦しんでも余り気にしませんが、そうでない方には細やかな配慮が必要ではないでしょうか。
 いまは研究者としての立場も取りながら、投与を続ける日々です。諦めずに方策を探すこともまた、大切だと感じています。皆様からのご意見などがありましたらお寄せ下さい。

  佐伯  淳一より
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