体験談
丸山ワクチン患者・家族の体験談や電話相談の内容をご紹介します。
泣いている暇はない
2003.05.22原発部位
胸腺腫と胸腺がん
昨年の6月、「なんだか腰が痛いな」と言い出したのはその当時まだ婚約者であった夫。もともと運動不足の上に腰痛は持病のようなもの。さして気にも留めなかった。15年来行きつけの整体師にみてもらったところ腰骨のブレが大きくなってきたとの指摘あり。定期的に施術に通う。坐骨神経痛が激しいので近所の整形外科でレントゲン。背骨の2ミリほどのずれ発見。「ロキソニン+マーズレンS」を処方してもらう。以後,同整形外科に数度通うが,低周波治療,牽引以外せず。
9月に入り整体師より「骨格が既にきれいに補正されたのに今だ痺れがあるのはおかしい」と指摘され大学病院にて精密検査。ときは既に10月であった。MRI検査により、第11・12胸椎に渡り骨髄内部に巨大な腫瘍。頭部・前頭葉に数ミリの腫瘍(目視ではっきりわかる白点)が発見された。目の前が真っ暗になるとはこういうことか。診察室で未来の夫が「癌」の宣告をされた。悪い夢だと思いたかった。
私は夫のプロデュースのもと、コンサート活動をしている。ちょうど10月にも地方公演があった。モーターホームという大きな車で移動中、ついに途中のパーキングエリアで車椅子を借りざるを得ない状態になった。「もっと早く検査をしていれば」誰でもが思うことだろうが、その時診察室で私もそう思った。涙を浮かべ「すまない」と頭を下げる婚約者を前に崩れ落ちそうにもなったが、「いや、そんなはずはない、泣いている暇はない」と思い直した。
まずはセカンドオピニオンだ。データを持って他の大学病院へ行ったがそこで朦朧とした頭に更に一撃を食らった。「大変珍しく困難。腫瘍を摘出しようとすれば腫瘍が飛び散る可能性が極めて高い。手の施しようがない。過去に数人いたがいずれも良い結果は出ていない」。私はそれでも尚且つ「いや、まだわからない。歩けるようになるはず」と思い続けた。何の根拠も知識もなく・・・
11月に入院。更なる検査の結果、原発病巣は肺であることがわかった。右肺下に直径4センチの腫瘍あり。肺腺癌である。13歳からの喫煙。自身の肺に対して心から謝る婚約者の姿がそこにあった。こちらも手術はもはや不可能とされた。ならばあとは抗がん剤か放射線照射しかない。しかし、もともと潔癖症に近いくらいにきれい好きな上に、排泄に関しては特に神経質なため、確実に嘔吐感や下痢をもたらすであろう抗ガン剤の投与は考えられない。歩行困難のためにトイレに間に合わないという恐怖感で自律神経失調症にもなっていたほどである。本人の希望はクオリティ・オブ・ライフ。とにかく脊髄腫瘍を叩き、歩けるようになり、少しでも普通の生活がしたいと願っていた。
入院一週間後より放射線照射が行われたが効果はすぐには出ない。約一ヶ月後に退院した。病室で入籍をした私たちは退院後すぐに住居に困った。車椅子生活のためバリアフリーでなければ暮らせない。介護人がいなければ私も働けない。一日中奔走し、職場近くのバリアフリーマンションに急遽居を構えた。介護用品も買いあさった。夫の介護には前妻の娘が協力をしてくれることになった。環境は一変したが、長年の会社経営で疲れ果てていた夫は初めて「家庭」「家族」というものの大切さに気づいたようだ。
介護と一口に言っても慣れないことだらけ。本当に大変だった。大晦日も元旦も「血痰が出た」「肩が異常に痛む」と立て続けに救急センターに駆け込んだ。「癌」=「死」ではないと信じ続けることをひたすらエネルギーとしていた。
徐々に病気の事が周囲に知れ、毎日のように新聞・雑誌で目にする健康食品の数々が送られてきた。が、健康食品とは‘わりと健康な人’でないと口にするのが結構しんどいものであるということがわかる。しかしながら心配してくれる方々へ感謝しつつ、少しずつ試していた。そんな中で私は原発病巣の肺に対して何もしないで良いのかという思いに悩まされていた。
ちょうどそんな時、周りでSSM(丸山ワクチン)の話題が持ち出されるようになった。一人、また一人。これはもはや偶然ではない。やってみなければと思った日、たまたま私は心労のせいか胃が痛かった。近所の病院へ診てもらいに行った時、その先生にSSMの注射をお願いしてみたら、なんともともとは癌研にいらしたという。私の説明だけでその場で診断書も書いてもらえ、快く一日おきの注射を引き受けてくれた。しかも自宅からそのクリニックまでは全く段差がない。車椅子のまま通えるのである。入手に必要な書類も極めてタイミングよく揃っていた。「これだ」という確信が静かにあった。
2月28日SSMスタート。放射線の効果もあったのか、4月には驚くべき奇跡が起こった。数歩だが歩けたのである。自力ではもはや排尿も困難とされていたのに、である。そして初めてのSSM注射から2ヶ月半経った今、肺の腫瘍の進行は止まっていると診断された。他への転移の状況については来月再度MRI検査をする予定。
まだまだ次に何が起こるかわからない毎日だが、患者本人の「生きてやる」という意思の力と自身の臓器に対しての感謝の念、そして看病する側の直感とそれを行動に移す実行力、更に「私が直す」という信念が非常に大切であると思う。周囲の協力が必要なのは言うまでもない。本当にあちらにもこちらにも頭を下げたい気持ちでいっぱいである。人は弱い。「前向き」になんて簡単にはなれない。が、一歩踏み出したことによって得られた奇跡は私の宝である。
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