体験談

丸山ワクチン患者・家族の体験談や電話相談の内容をご紹介します。

患者・家族の立場から

丸山ワクチンに助けられて

原発部位

喉頭がん

 30年前に母を胃がんで亡くすまで、ガンに関しての知識はありませんでした。ショックと悲しみの中でいろいろな本を読み、中でもワクチン療法研究施設の岩城弘子先生の、丸山ワクチンがん予防に関する一文に感銘を受けました。早速先生にお目にかかりましたのが1974年(昭和49年)で、翌年主人の転勤のためサンフランシスコに移住致しました。
 1985年(昭和60年)ごろでしたか、主人が夏風邪でもないのに声がカスレてなかなか良くならないので、近くのサンラファエル市カイザー病院で診察を受けました。ちょうど声帯のところに爪楊枝の頭くらいのポリープがあり、検査の結果がんで、先生に、「即手術をしなさい。リンパに転移したらもうダメだ。」といわれ、主人も驚いて手術とはどんな事かと詳しく尋ねましたら、声帯を除去し、場合によってはアゴの骨を一部取るとのことでした。「手術に成功している人々も何人かいるので、お宅に訪問していただくからよく話を聞いて、早く決心するように」と言われました。
 翌日二人の60歳前後の男性が訪問してくださり、いろいろと体験談を語ってくださいましたが、顔も下半分が変形して、声も笛のような音でききとり難く、主人はもう大変ショックを受けて、あのように生きるより手術などせずに死ぬと申します。私はこの時、天啓のように丸山ワクチンのことを思い出し、主人とこれにに賭けてみようと話し合いました。
 翌日の飛行機便を予約、ワクチン研究施設の飯田先生に連絡を入れて丸山先生にお会いできるようお願いしました。午前中担当の先生に診察していただき、午後には丸山先生にお目にかかることが出来ました。先生が自愛に満ちた声で「この程度でしたら手術などしなくても大丈夫ですよ」とおっしゃった時は、いちどきに暗雲が消え光明が輝いたような気持ちでした。
 帰米してからは連日カイザー病院より矢のような催促で、主人が手紙で「ワクチンを使用しているから」と書いても、速達便で「メキシコでも、効かないワクチンで問題がおきている。一日も早く手術および抗がん剤の使用を」と言って来ます。三週目に入っても声枯れがそのままでよくならず、主人も決心がぐらつき始め心配になってきましたが、私は「状態が悪くなっていないということは希望がある」と言って主人を励ましておりましたところ、一ヶ月目で声が出るようになり、オフィスも一月休んだだけで復帰することが出来ました。
 以後15年近くは風邪を引くことも無く、元気に5年過ぎ10年過ぎる間にワクチンを忘れがちになり、私が時々尋ねると忘れていることが多くなりましたが、健康状態もよく、病院の健診も全く問題なしといわれ、安心しきっておりました。
 98年(平成10年)暮れにトイレが近くなり少し血が混じるのでカイザー総合病院で診察を受けたところ、膀胱がんで腎臓、肝臓にも転移していると言われ、人工膀胱の手術と抗がん剤療法を勧められました。急遽私のみ帰京して藤田先生にお会いし、ワクチンはAのみを使用その他の指示をいただき帰米、民間療法や漢方薬などいろいろトライしましたが、トイレの回数も多くなり不眠になり、とうとう入院して人工膀胱の手術を受けました。
 1週間後に退院になり、食欲は無いのですが、痛みや自覚症状は全く無く、病院から毎日派遣の看護婦さんが、「こんなに苦しまず静かな患者は初めて」と不思議がっておりました。98年(平成10年)の暮れの発病から3ヶ月、手術してから2ヶ月目に眠るように静かに息を引き取りました。
 思えば喉頭がんで早々と亡くなっていく方々がおられる中,丸山ワクチンにより75歳まで延命できましたことを深く感謝いたしますと共に、今はもう後悔しても致し方ないことながら、もっと私が、無事な日も忘れることなく、使用日付などをメモするなど、きちんと管理しておけば、などと時々思い出し、悔やんでおります。
 一日も早くガンという病が無くなる事と、丸山ワクチンが認可されて保険で利用出来るようになる事等を願っております。

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